終戦から75年の終戦記念日に、自分のルーツを見直す時間をとりました。
もともとは軽く父と母について書こうと思っていたのですが、お盆はどうも霊が近いようで、その前の世代のことから書くことになりました。
私の文章は書こうという意志より自動筆記に近くて・・・
NVC(非暴力コミュニケーション)をお伝えしていることもあり、どんな形をとった暴力にも反対しています。戦争はその最たるものだと思っています。
写真は、ポートランドで撮影したエレノア・ルーズベルトの格言。
I can not believe that war is the best solution. No one won the last war, and no one will win the next war.
Eleanor Roosevelt
「戦争がベストの解決だとはまったく信じられません。前の大戦では誰も勝ちませんでしたし、次の大戦でも誰も勝たないでしょうから」
エレノア・ルーズベルトは今でも人気の高いファーストレディです。
詳しくはWikipedia.
小学生の頃、夏休みは毎年名古屋の父方の祖父母の家に預けられていました。
お盆が近づくとTVの戦争特集が始まり、ニュースやドラマやドキュメンタリーを祖父母が見続けるのですが、悲惨すぎて私は見たくなくて、戦争体験を避けてきました。
それがどうしてか、今年になって地獄絵図のような話が少しずつ読めるようになってきたりしています。そして自分のルーツへの戦争の影響が気になり始めました。
息子を、広島の子として育てる
息子のひいおじいちゃんにあたる、元夫のおじいちゃんはお医者さんで、広島に原爆が投下された時には市内にいませんでしたが、翌日「医者だから人を助けに」と市内に自ら入り被曝したそうです。尊敬しかありません。息子は被曝4世にあたるのかな。毎年8/6はなるべく広島にいるようにスケジュールしています。平和の種の人であってほしいと「平和っていいよね♡」って折あるごとに突っ込み、NVCを身につけてもらっています。
で、うちはどうだったんだっけな?
父方のルーツにもあった戦争の傷あと
調べ始めると・・・
父方のひいおじいちゃんが、終戦の2ヶ月前にアメリカ軍の空爆で爆死していました、知らなかった・・・。そのひいおじいちゃんは愛知県のど田舎の土地をたくさん持っている呉服屋で名士だったのですが、名士がゆえの連判(友人の連帯保証人になり、こける)で全財産を失い名古屋に出てきた人でした。ひいおばあちゃんは6人の子供をうみましたが、二人は幼児のうちに、一人は19歳で亡くなっています。
(それもあって、昔の人は多めに子供を産むのか・・・この場合50%)
生き残った次男が私のおじいちゃん。おじいちゃんはとても頭の良い人でしたが、おかげで大学進学は叶わず、肉体労働などどんな仕事でもして、それはそれは大変な思いをして家族を養ってきたそうです。大学は仕事を始めてからいきました。
・・・という話は、東大大学院まで行き国際的な賞を取ったにもかかわらずニートになって学校を中退した私の弟に、おじいちゃんが初めてカミングアウトした話。伴侶たるおばあちゃんにも話したことはないと言っていました(おかげで聞けてよかったよ・・・)。
おじいちゃんは高校の先生として、退職してからは自宅で塾を開き堅気な人生をまっとうしていきました。
おじいちゃんは、田舎に疎開していた東京からの女性と結婚しました。そうして名古屋で教員夫婦をしながら住んでいた家が今度は伊勢湾台風で流されます(涙)
お坊ちゃんとして暮らしていたら破産、先祖代々住んできた土地から出る、兄弟3人死亡、戦争、父が爆死、ど貧乏生活で母と妹2人を養う、結婚、男児2名誕生、と思ったら台風で家がなくなる。ってどんだけの人生ゲーム・・・
私だったら考えられません。
私が自転車に乗れるのも泳げるのも、いざとなればセミを素手で捕まえられるのも、全部おじいちゃんのおかげです(ありがとうー)。
おわりに
母方はより複雑なのですが、書いてたらあまりにも疲れたので、もうこのへんで・・・
ルーツ掘っていくとどんな家系でも負っているものの根深さが見えてくると思います。
家系について、ファミリーコンステレーションやIFSやシャーマンワークなど魔法セッションをしてもらっていて思うのは、自分のところで軽やかに浄化ができたらいいなということ。
そこにあった愛や豊さだけを引き継いで、悲しみや辛さは浄化・成仏させていきたい。
そして、息子の世代に希望だけを託していきます。
終戦からたったの75年。悲惨な記憶を見られるようになったのは、
その対岸にある今の幸せを絶対に譲り渡さないという覚悟を新たにするために使っていきたい。
という腹が据わったのかもしれません。