愛と共感の子育ての本質:NVC子育て by マーシャル・ローゼンバーグ

NVCの創始者・故マーシャル・ローゼンバーグが子育てにフォーカスした小冊子を残しています。
「Raising Children Compassionately(思いやりのある子育て術)」2005年刊。全21ページ。
NVCを子育てに使う人には必ず読んでほしい本ですが、残念ながら和訳がまだありません。
このページには、私がざっと訳したダイジェストをのせています。

シングルマザーで、気分の浮き沈みの激しい私に育てられ、2021年現在13歳、反抗期もなく自由に自立して育った息子。
どんな子かは、こちらにドキュメンタリーあります。私も出てます^^
とはいえ、何度かクライシスはありました。
2016年に離婚した後が、息子いわく私の状態が最悪だったとのこと。
気分転換を兼ね、2017年にポートランドに息子と2か月暮らしに行きました。
月に20万円する学校に入れたのですが、時差ぼけがひどく学校に息子が行きたがらず。
ホームステイしている家の子供たちとの折り合いが悪く、普段やさしい息子が暴力的になり、私もノイローゼ気味になりました。
ほとほと困りはてた時にこの本をAmazonで買い読みました。感動のあまり1日半で訳出したものです。
必要性に迫られ情熱で訳したため、分かりにくいところもあるかと思います。
NVCで子育てするママのためのオンラインサークルを持っていますので、みんなの知恵を集めて精度もあげていければと思っています。
もし英語がわかる方は、原文と照らし合わせて修正提案があれば反映いたしますのでご連絡ください。

私が買った小冊子はこちら.


こちらの本にも全く同じ内容が収録されています。単体で読むなら、薄くて持ち運びしやすいので、↑がおすすめ。kindleもあります。



マーシャルの話は基本的に皮肉や冗長さがあってちょっとわかりにくく、本の中でも重複や分かりにくさがあると感じました。そこで、NVCのコアだと思う本質的でパワフルな表現で、私が必要だと思う箇所だけ抜き書き翻訳しました。
まだ分かりにくさは強いのですが、余裕がないので(涙)いつか、もっと分かりやすく翻訳します。

トップの写真は、息子が2歳の頃、暮らしていたロンドンで。産前からNVCを学んでいたらどんなに楽だったかと振り返ります。人生のたくさんの失敗があるからNVCに出会え、深く学べていることに感謝も感じつつ!

母として、教育や家庭でNVCを実践する方が増え、NVCで育まれた子供が世界をつくっていくことに大きな情熱を持ってこの記事を公開しております。
この内容で講演やワークショップ開催やカウンセリングや勉強会もいたします。
以下のようなシーンで使えるかと思います。お声がけください^^

  • PTAの講習会
  • 教室の中で、共感的な雰囲気をつくり教室運営をストレスフリーにする、先生のためのトレーニング
  • 教室の中でも子供たちの学び合い

それでは!
以下、抜粋翻訳です。

なお、シェアされる際は、「意訳翻訳/文責 藤井麗美(くふうとまほう)」と記載ください。
訳が誤っている可能性もあるので、責任の所在を私にしたいためです。

ファイルで必要な方は、google docをどうぞ。

“親“として教育されていること

  • 親は、子供に対して、他の他人にはしないような扱いを容易にします。近所の人や友人にだったらしないような言葉づかいや扱いを、自分の子供にはしている
  • NVCでは「ラベル」でなく「人(人間性)」として、すべての人を見ることをお勧めしている。が、「こども」というラベルを見逃しがち。
  • ひとたび、自分を「教師」や「親」というオーソリティーだと定義づけたら、「 “こども”や“生徒”が、ある(certain)振る舞いをするようにすること。それが仕事(job)である」。
    と、私たち大人は、育った文化の中で教えられてきた。
  • 誰かに対して「ある(certain)振る舞い」をさせることが目的になると、ほとんどの場合、その相手は抵抗(resist)する。それがどんなお願いであっても、2歳児であっても92歳であっても。
  • こちらの思い通りに相手をさせようという目的は、相手の自律性(autonomy)や、何をするかは自分で決める、という「選択(choise)」おびやかす。選択を与えられていないと感じる時、人は抵抗する。求められているものが、本質的には自分の望んでいるものだったとしても。
  • 相手が、思い込み(single-mindedness)で、私たちがどうすべきかの正解を知っているという態度を崩さず来る時、私たちは抵抗する。

“無理強い”と“おしおき”の限界(The Limitation of Coercion and Punishment)

  • 調査によると、アメリカの親の80%は、体罰は効果的であると考えている。これは、犯罪には死刑が有効であると考えている割合と同じである。が、暴力は暴力を引き起こす(Violence begets violence)。
  • おしおき(punishment)はあまりにも頻繁に使われていて、正当化されているから、多くの親にとっては「おしおき」の反対を、以下のように捉える人もいる。
    我々が大切にしていること(価値、values)と調和していない(in harmony with)振る舞いを子供がするときに何もしないことは、「大目に見ること(permissiveness、寛容さ。放任って感じ?)に過ぎない、と。
  • そのため、親はこう考えがちである。「もしここで私が罰を与えず、ただ子供の好きにさせていたら、私は自分が大切にしている価値を手放す(give up)ことになる」。
    だから、おしおき(罰)といった、無理強いの戦術をとる。
    または、おしおきと同じく、無理強いに過ぎない「ごほうび(reward)」を提案する。
  • どちらの戦術も、人に対してパワーオーバー(威圧的)である。私たちが好ましいと思う振る舞いをさせて、環境をコントロールしようとしている。
    ステキな「ごほうび」の提案も、同じく「おしおき」の発想から来ている(◯◯をしなければ、いい子。いい子にはごほうびをあげる)
  • そして、「何もしない」戦法と「無理強い」戦法以外に、もうひとつのアプローチがあります。
    これには繊細な(subtle)意識が必要ですが、「相手を思い通りにしたい」という目的であるか、または「すべての人のニーズ(大切なもの)が満たされるつながりの質を作ること」が目的であることに明快(clear)であるか、という重要かつ大きな違いを生むことができます。
  • 相手が大人であれ子供であれ、この二つの目的の違いに意識的でいることが大切です。相手に、自分のしたいことをさせようという意識を抑えると、互いの間に合意形成ができ、互いへの敬意が生まれます。
    互いのニーズ(大切にしていること)が大切にされ(matter)、自分のニーズと相手の幸せ(well-being)が相互依存(inter-dependent)していることに気づき(concious)ます。
    その時、互いに解決は不可能だと思っていた(irresolvable)争い(conflict)が、いとも簡単に解決していきます。
  • このためには、あるシフトが必要です。それは、子供たちを「正しい/間違ってる」「よい/悪い」といった道徳的な言葉で評価するのでなく、「ニーズ」に基づいた言語を使うこと。これは、親や教師から「正しい/間違ってる」「よい/悪い」といった道徳的判断で教育されてきた私たちにとっては、難しいシフトではある。
  • そのためには、大人である私たちが、子供たちの振る舞いは私たちのニーズと調和している/いない、ということを伝えるスキルが求められます。
    その時に、子どもの側に、罪や恥の(guilt and shame)を生み出さずに伝えることも重要です。
  • 例えばこんな感じ。「兄弟を叩くのは、悪いことだよ」という代わりに、「君が兄弟を叩いてるのを見るとパパは怖くなる。なぜなら、パパには家族すべてに“安全”であってほしいというニーズがあるから」と伝える。
  • それに、自分の子供に対していつも「その瞬間のその子を見る(present)」必要もある。彼らがイライラしている時も、ただ共感だけで寄り添う必要がある。
    親としては、問題が起きたらすぐに問題に飛びつき、アドバイスを与え、解決(fix)したいと、教育されてきているから。たとえば、
    子どもが「誰も僕のことなんて好きじゃないんだ(Nobody likes me)」というようなことを言い出すことがありますね。
    そういう時、子どもは共感的に繋がってもらうこと(empathic kind of connection)を必要としている、と私は信じています。
    親がそこにいて、子どもがどんな気持ちで、何を必要としているかしていることを敬意を込めた理解で聞いているということ。それは、無言でもできます
    子どもの「悲しみ」の気持ちと一緒にいて、「友達と、本当は違った質のつながりを持ちたかったんだよね」と目であらわすこともできる。
    しかし、親の役割は子どもを終始幸せにしておくことだと思い込んでいる場合、たいてい親が言うのは・・・
    「よし、君がしてきたことで、お友達に敬遠される理由になったことがあるかもしれないね、それについて考えたことがあるかな?」
    または子どもの意見に賛同せず、
    「うーん。それは真実じゃないと思うよ。これまでにお友達はいたし、これからも絶対できるよ」
    またはアドバイスを与える。
    「たぶんお友達に、もっと優しく接してみたら、お友だちは君のことをもっと好きになってくれるんじゃないかな?」
    といった具合。
    このような親には、見えていないことがある。
    すべての人間に共通することは。
    ひとたび痛み(pain)の中にいるとき、必要なのは、誰かの存在と共感です。 アドバイスを必要とするかもしれないけれど、それは共感的なつながりを受け取った後のはなし。
    多くの人は、罰よりもご褒美を与える方がより人間らしいのではないかと信じている。 が、私は両方とも他者へのPower-overだと思います(Power-over:人を支配すること)。NVCは人々とPower-withするのが基本。 Power-withの関係においては、人に影響を与えようとするときに、以下のようなやり方をしないようにしている。

    −誰かが私たちのしたいようにしなかったら、苦しませる(suffer)
    −誰かが私たちの思い通りにしたら、ご褒美をあげる

    Power-withは、お互いの信頼と尊重から成るパワーです。 そのパワーがあると、お互いから学び、お互いから聞くことに心を開き、 他の誰かの幸せにぜひ貢献したいという強い気持ちから動くことができます。 罰の恐怖や、ご褒美への希望からではなく。 でも、そういうコミュニケーション方法は難しくて、そんな風にコミュニケートするのは不自然に感じるという親もいます。

    ガンジーはこう言っています。

Don’t mix up that which is habitual and that which is natural(慣習に過ぎないことと、自然であることを混同してはならぬ)

文化の中で、様々な理由から、とても不自然なやり方でコミュニケートし振舞うことを教えられてきていることがある。それは慣習に過ぎない。

慣習的だから自然である、ということにはならない。
人にとって、愛と尊敬があるやり方でつながり、何かをするときはお互いの喜び(joy)から動くことが自然(Natural)であることを、私(マーシャル)は学びました。
罰/ご褒美、文句/罪を、人に無理強いをさせるために使うのでなく

  • もしそのタスクをやらないと罰があったり文句を言われたりすると感じると、人は「リクエスト(お願い)」でなく「demand(要求・命令)」されたと感じる。
    その考えがあると、そのタスクをする喜びがなくなる。
  • 人は「demand(要求・命令)を嗅ぎ取ると、その愛や尊敬やお世話(care)を「条件付き」のものであるかのように感じる。
    言うことを聞くなら世話しよう、と言われているかのように。

ある日「無条件の愛」について考えていて、3歳の息子が来たので「パパはなんでお前を愛してるのかな?」と聞いた。
すると、「さっき、うんこをおまるじゃなくてトイレでできたから?」マーシャルはがっかりしてまた聞くと「もう食べ物を床に巻き散らかさないようになったから?」マーシャルはまたがっかりして、息子が少し真剣になった。「パパはどうして僕を愛しているの?」
「それは・・・お前がお前だからさ」あまりに抽象的すぎたが、彼はそこに込められたメッセージを受け取った!
その後2日にわたり、息子は10分に一度マーシャルのところに来て「パパは、僕が僕だから好きなんだよね!」とうれしそうに駆け回った。
このクオリティの「無条件の愛・尊敬・受容(acceptance)」でコミュニケーションするときは、誰かが何かをするから愛する、という考えを手放していい。

誰かが自分をオーソリティ(権威者)だと考えて、正しさを振りかざしてくるとき、彼らは、罪や恥の意識を持たせようとしたり、罰しようとするだろう。そんなときは自分に「服従または反抗」を選ばせるパワーを彼らに与えないこと。

そして、彼らの気持ちとニーズに意識を向けること。

個人的にとらえないこと(=自分に非があると思い過ぎないこと)

力の行使について

子育てをするとき、どうしても力が必要なときがある。力には二つの使い方がある、防御的な使い方と、懲罰的な使い方。

懲罰的な力の行使は、他人への道徳的な判断から生まれる。何か過ち(過失)を犯していて、懲罰に値すると考えるとき。その過失に対して相応に苦しむべきだ、どんなにひどいことをしたのか知らしめるべきだ、というコンセプトからくる。 おしりペンペンのような体罰のときもあるし、罪や恥の意識を抱かせて子どもに自らを憎ませるような心理的な懲罰のときもある。

一方、防御的な力の行使は根本的に違う。
誰かが悪くて懲罰に値する、という考えはない。 私たちの意識は、自分のどのニーズが危機に瀕しているか、にだけにある。そして、子どもに向かって悪いとか間違ってるなどとは言わない

二つの力の行使の違いは、「意図」にある。 防御的な行使においては、子どもをコントロールしようという意図はない。 環境をコントロールする。例えて言えば、蚊に刺されないように、家の周りに蚊帳を張り巡らせるようなものである。 起こってほしくないことを避けるために、環境をコントロールする。

とはいえ、古いパターンにすぐ陥ってしまいがち。
完璧な親なんてものがあるっていう思い込みは地獄のようなもの。私たちはいつだって完璧になんてできないし、自分を責め攻撃する。
そして、子供たちはそのことからなんの恩恵も受けない

というわけで、マーシャルがお勧めするゴールは、非の打ちどころのない親になることではなく、進歩的に、少しでもバカじゃない(progressively less stupid)親になること
子供たちに、彼らが必要としている理解の質を与えることはできないし、私たちを誠実に表現することもできないと毎回学びながら
子供が必要としているものを与えるために、私たちにも親としての感情的なサポートが必要である。 私たちは、自分が受け取っている愛と理解、と同程度の愛を与えることができる

そのために強くお勧めしているのが、友人や、友人じゃない人たちと、自分たちのためのサポーティングコミュニティを作ること。 私たちが、自身にとっても子どもにとっても良いやり方で「今」にい続けることができるように、理解をくれる人たちのサポーティングコミュニティ。

ここでお話ししたことが、あなたがなりたいような親像に近く何かの助けになっていることを望みます。


以上マーシャルの書籍からのダイジェストでした。
なお、私(レミ)は、この目的のために、NVCで子育てするお母さんのためのオンラインサポートグループを持っています。
そして、できれば自分のいるところで、このようなNVCサークルを持ってください。
それが愛と共感の社会を生む子宮になります♡
誰でもソツなくできる共感サークルのホールドの仕方を伝授するクラスもあります。

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