NVC界の名トレーナーのひとりにロバート・ゴンザレスがいます。
ポートランド在住のカリスマ。クラスが終わった後に、参加者が(去りがたくて)動けなくなってしまうくらいの愛の磁場を生み出す人です。
日本での初単独リトリートには一番乗りで申し込み、コロナ騒動でリアルリトリートが延期になるなら、オンラインクラスに申し込みます。それくらい好き♡
「かつては分子レベルで OFNR(というNVCの基本文法)を教えていたこともあるけど」というロバート。今はクラスでは、ごくシンプルなペアエクササイズをよく取り入れてくれます。
現在日本で開催されているクラスでも、クラス外の時間にエクササイズの練習を求められます。
これがまた毎回ペアになる人が素晴らしい宇宙タイミングで♡
NVCが魅力的なのは、ハートを開いて深いところでつながり合うから、親友みたいに信頼できる友人がすぐできること。
RPG(ロールプレイングゲーム)で、世界のどこにでも信頼できるパーティ候補者が増える感じね♡
魔法のエッセンス
ワークの細部をお伝えすることはできないのですが、ロバートの誘導や言葉づかいを実際にみると学びがとてもあります。本人の動画はネットで見れます。
お伝えできるエッセンスとしては、ロバート(というかNVC全般)のエクササイズはいつもおおむねこんな感じ。
- 他人の言動でトリガーとなったできごとを選ぶ
- 自分の体感と感情を追う
- 何が起きようとその感情を心にお招きし一緒にいる(ロバートは「リビングルーム」というメタファーを使います)
- ニーズを追う
- 元のトリガーをみてみる
書き出すとほんとうにシンプルなんだけど、ロバートの存在感(波動で伝える魔術師)と、単語選びがいいんだと思う。深いところに入れます。
わたしがNVCを愛してやまないのは、短時間でさわやかな別次元にいくことができるから。
飲み屋のママや心療内科のカウンセリングに話聞いてもらうより安くて早くて安全だから好き。
これは15分のプロセスです。
トリガーを感じます
トリガーとして、デートし始めていて5か月前にご縁が切れた男性とのエピソードを選びます。
彼への怒りに近い不満が自分の中にありわずらわしい。
けっこう好きだったのに、うまくいかなくて残念っていう執着がある。
「いい感じだったのに、そんな大したことない理由でケンカをふっかけてきて、なんだよ。いい関係をぶっ壊してムカつく」ってのがペタって自分にくっついてる。
高校生みたいだけど、恋愛ってねー、にゃー(苦笑)
やりとりを思い出すとまた怒りや批判が自分の中に噴出し険しさが体内に出ます。
プロセスを導いてくれるバディの方からは「苦しそうだったよ」と。
心の中にその感情をお迎えすると
それは玄関をバタンと開けてリビングルーム(応接間)に入ってくる・・・ドラァグクイーンでした・・・
大好きな映画「プリシラ」の主人公たちみたいな。
けばけばしいドレスの女装ででかい男が野太いオネエことばで「ねー、ちょっと聞いてよー!」と酒の匂いをさせながら、スパンコールのバッグをぶん回しながら帰ってきます。超存在感の派手な人がリビングルームにドンっって来た!という感じ。そして、
「もうっさー!あの男さー!」と話しはじめます。
聞いてたらとにかく「楽しみたかったのに!」というエネルギーに満ちあふれている。
知ってるぞ、この感覚
自分にも息子にもあります。
ただ楽しみたかったのに。楽しいと思って家族と海外旅行にいったらつまんないことが起こる。
ピザが食べたかったのに中華料理に連れてかれた。など。
わりと長く「ちゃぶ台返しキャラ」だったため「もう食べない!ひとりでホテル帰るー!」と小学生なのにホテルの場所もわからないのに、ハワイの道をズンズン歩いたエピソードも思い出されます。
楽しみにしてたのに満たされなかったことへの怒りが強い。
息子と3年前に軽くポートランドに数ヶ月越したことがあります。「行ったらこんなに楽しいよ」って言われてたものの、想定と違う体験が待っていた息子はすねてしまいました。息子にとっては、
amazonで買って楽しみにしてた商品が届いたら、思ったほどでもなかった。
という感覚。
わたしのプリシラは、それのでっかいバージョン。
すごい期待をしている。すっごい楽しい、超越的に楽しいって思ってたのに。
全然そうじゃなかった。つまんなかった。ってことに、ものすごい怒りがわいちゃう。
つまんない、つまんない
つ・ま・ん・な・い
つまんなーーーーーーい!
わーっ!
もっと楽しいはずじゃなかったの?!
っていうエネルギーが自分の中にある。
直径1mくらいの黄色いシリコンのお花形おはじき(ドーナツ状に穴があいている)みたいなものを、頭の上で両手でグニョーンと広げまくってるイメージまで浮かびます(なんなんだ?)
願いに寄りそいます
まじで・・・?
「わがまま」って人から言われるけど、ほんっとわがままだよね。
って自己評価がはしるくらいのドラァグクイーンっぷりが、ある。
ほんとうにわがまま。
っていうか「自由」(のニーズ)だよね、ほんとうに楽しみたかったんだねっていうのが、純粋にそのジタバタ感から伝わってくる。
小さい頃から抑圧されて生きてきて、学校の授業も全部つまんなかったし、表面的な女友達とのやりとりもほんとつまんなかったし。BFたちもいつも最終的には「つまんないから別れる」、結婚も思ってたよりつまんなかった。
fun(楽しさ), pleasure(快楽)が魂の願いとしてあるんだね。ほんとうにソコなんだね。っていう感覚をつかむ。
と、「わかった、わかった、もうわかった。まず座って、そこに」みたいな感じが湧いてくる。
「楽しいのが好きなのはわかった」とプリシラに座ってもらい。
「とにかく楽しみたい」という彼女(彼?)に「わかった。楽しくしよう。見立て違いだったよね、残念だったよね」と共感します。
「遊びをせんとや生まれけむ」という言葉を思い出す。
そのために生きてきたんだよね。ちっちゃい頃自由に遊べなかったから、それを今ボーナスステージでやり切ってるんだもんね。
そこからトリガーになってるできごとを見てみると、さらっと彼への執着を手放せます。
ここがNVCのすごいところで。あれだけのしつこい怒りや不満がすっこーんと消えます。
「へ、なんでだっけ?」くらいに。これがたくさんの人に起こることを、毎回面白いなーと思っています。
恨みを長い間抱えて生きる人もいるし、そうしない方法もある。
前日夜の恋愛イベント「クラブ麗美」(笑)の簡単なワークで「理想の恋愛」をみんなでシェアしたところ、わたしのビジョンはこれだった。
クリスタルとかアクセサリーやレースの縁やお花のような美しいもの。その美しさを堪能したいだけ。アイテムはゆるやかに移り変わっていけばいいな。 楽しくなくなったら、もういい。恋愛なんて、それくらいの移りゆくものでいい(今のところは)
美しさを共有し、タイミングがきたら手放し、執着なく、次へ、次へ。
補足:わたしの「つまんない」の沸点が低いだけで、元BFたちも元だんなさんもみんなステキだと思います。わたしがつまんないと思うことと彼らの価値がリンクしないことは一筆書いておかないと♡
頭で見つけるニーズと、ハートで見つけるニーズは異なる
プロセスの間、泣いてるのと同時に「可笑しい」という感覚が同時にあって笑いがこみ上げていました。
あまりにも子供のようにジタバタしているプリシラに「え、そんなに?」と。
こういうプロセスって、その間のことをほんとうに忘れがちで、なんで泣いていたのかはわからない(そもそもそんなに泣く方じゃない)。
後日談:「悲しい」だと気づきました。いつか記事にします。
「可笑しさ」については、「客観視してるからかな」とバディの方が。そうかも。
ここまでの数ヶ月は怒りが強くて、ロジック(頭、マインド、理性)で考えると「こんないい関係を終わらせるほど譲れない理由があるなら説明して」って思い続けてた。理解のニーズだって思ってた。
そうじゃなかった。
リビングルームで感情とつながる時、プリシラ(映画「インサイド・アウト」なら”anger”)は批判的な言葉を吐いているのだろうけど、リビングルームたる私の心にはジャッジはなくて。
ぷんぷん怒るプリシラがきたら、おもしろくなっちゃった。
バディの方が「ステキなゲストだね♡」と。
うん。
NVCの自己共感が難しいと言われるのはここで、ひとりだと行きつけないところがある。
トレーナーのプロセスに従うことや、誰かがwitness(見守って)してくれていることでなぜかいける境地があります。ここもNVCの魔法。
私は恋愛で fun(楽しさ)を大切にしている。 そういうド変態。 それだけ。 彼も私も、誰も悪くない。
そう思える時、彼へのエネミー・イメージはありません。
楽しくなると思ってた、ならなかった。残念だった。終わった。
それだけのこと。
NVCはこういうところにつながれます。
トップの写真:20年前(25才)の私。ウィッグにミニスカート。ドラァグクイーンと間違えられるようなコスチュームで遊んでました(笑)悪そうだね・・・遊んで遊んで、倒れるなら、前へ!という時代。
今はこんな。人って変わるんです♡
おまけ
下の記事のように、彼と満たされていたたくさんのニーズがありました。別の方との恋愛と比べると、特に「どこまでも一緒に楽しみを追求できるスピードやエネルギー」を彼と倍増していけるとワクワクがあった。これらを楽しみ続けたかった。欲ぶかすぎるのでしょう。でも、がまんに興味がなくて。求めて求めて、求めた以上のものを人生が返しつづけてくれているから♡
このわがままな生き方を変える気はありません♡
追記:1か月後に読み直してみたら、ポカーンとしてしまった^^
この彼への怒りがまったくなくて。あ、そういえば、そんな感情もあったね、くらいでした!