失恋でつらい時、無意識に「痛み」を選んでいる自分に気づく。そして、ラジャスからサットヴァな恋愛へ

バイロンベイというオーストラリアの町があります。ヒッピーとサーファーの町で、その独特の文化に惹かれ、世界中からインテリ度の高いアクティビストやライトワーカー(ヒーラーなど)やヨガをする人が集まってくる特異な町です。
マーケットで、シーシェパードのブースがあったり、元グリーンピースで捕鯨反対活動をしていたアクティビストの方とお話しする機会がありました。
捕鯨反対活動をしている方に国籍を聞かれて「日本人です」と名乗るときの気まずい感じ。。。立ち去りたくなる気持ちもわきます。
昔の私だったら逃げていたと思いますが、NVCという無敵のコミュニケーションを使える今は、どんな時もできるかぎり愛と共感から人とつながろうと腹が決まっているのでフラットにまっすぐ向かえるようになりました。
話をしている中で「シーシェパードは、自分が憎むものへの抗議をしている(protest what they hate)、グリーンピースは、自分が愛するものを守るためにプロテストをしている(protest to protect what they loveだったかな・・・)」という発言がありました。
オーストラリア人の友人に話すと、フランスの伝説的なバレリーナがシーシェパードを熱烈にサポートしているという例を出してくれました。
素晴らしいバレリーナだけれど、引退直前のダンスは醜い、人間の情念などを表現するダンスでイマイチになったと。Wikipediaによるとヴィーガンでもあるそうです。「私のために死ぬ動物がいてほしくないから(I do not want any animal to die for me.)」と。
NVCで共感的にとらえる私は、彼女はすべての命を対等に捉えている人であり、人間の不条理や罪深さや、そこにある人間性の悲喜こもごもを大切に表現していきたい人なんだろうなと感じて、そう友人に伝えます。すると「そうかもしれないけど、ただpainが好きな人っているんだよ」とバッサリ言われました。
あれ?自分にも響くところがあります。。。

無意識に痛み(pain)を選択する人生がある

クリスタルキャッスルというバイロンベイのスピリチュアルスポットで見た絵馬

前日に見た絵馬を思い出します。世界中の人々の願いはシンプルでした。「健康で安全で、自分と大切な人たちが幸せであってほしい」
シンプル。そして、人生はそのようには進まないから皆が切望するのだろうな。
私はたくさんの大変な経験を経て、今は天国にいるような幸せな人生を過ごしています。
それでも不安定走行状態に陥ることが年に数度あって、原因に薄々きづいています。
たいがいは恋愛でおきます。どうも「両思い」の持つポジティブなハッピーバイブスが好きなのと同時に「悲恋」の持つはかない美しさも好きらしい。
「いやそんなことない、どー考えたって両思いがいいし、そうなれる相手を選ぶこともできるのに、なぜ!」という自分がいます。
認めたくないものの、私には「なげき」への希求があって、その浄化力や美しさが好物なようだ、というところまでは追えていました。

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読み返すと当時の悲しみが胸に迫ります。もう2か月たち忘れてたのに。で、この胸が詰まる感じも結構好き(痛みフェチ♡)

石田純一さんの「不倫は文化」発言の裏にあるもの

20年前に石田純一さんの取材をさせていただいたことがあります。当時出版されたばかりの自伝はもちろん過去のインタビューを読みまくります。彼は「不倫は文化」という言葉でバッシングを受けましたが、過去のインタビューを読むと、イタリア製(?)のタオルに惚れ込みタオル屋さんを経営していた時には「タオルは文化」と答えていました。
私の当時の理解では「不倫は文化」の言葉の裏側に石田さんが込めた意図はこんなところだったのだろうなと感じていました。
「状況がどうあれ、男と女がひかれ合う気持ちを止めることはできない。人類はそうして身分や大陸も超えて愛し合ってきた。そうして実らなかったり、許されなかった恋こそが、壮大なラブストーリーや哲学や名曲の産みの力になってきたこともある。であるからには、ただ ”不倫” という言葉ひとつをよりしろに人を裁くような、色気のないアプローチは文化的じゃないんじゃない?」

「トリスタンとイゾルデ」や「源氏物語」という1000年前から、不倫や片思いの中にある美しさやはかなさを人は愛(め)でてきたのだと思います。
私があこがれる悲恋や嘆きも、その「文化的」な痛みに沿っている予感がしました。
痛みの辛さを「なんでこんな目に。次こそはこんな決して幸せにならない恋愛はやめよう」となげくこともできるし、「痛みのある恋愛が好きなのよ。数ヶ月つらいけど、それを凌駕する中毒的な美しさがあって、たまにやるといいのよ♡」と自覚しているのとでは、心の穏やかさが相当ちがいます。
やめたいんだけどね(笑)悲恋願望!
そんな私に男友達は「今はこのドラマやってんのよ、あたし!って楽しんでるように見えますよ」と。見え見えかー♡

インド哲学で納得。恋愛もラジャスからサットヴァへ

NVCで見ていくと「刺激」や「成長」といったニーズもあります。
エスニック料理が好きってわけでもないのにたまに食べてくなって、食べてはその辛さでお腹壊すのについついまた食べちゃうようなこの破壊行動、なんなのかなー?と悩み続けて数年。
クンダリーニヨガを深める中でインド哲学をかじり始めたら道が開けました。
ヨガをしていると「ああ、こういう境地に至りたかったんだ」と理解する瞬間があります。
言語化に至る手前で消えていた、でもつかみかけていた感覚。
それに長く滞在することができるようになり始めます。
その境地とは「サットヴァ」。
インド哲学で「サットヴァ(純性)」と呼ばれる質。サットヴァは愛の象徴であり、献身、喜び、知識、清浄、忠実、公正、正義、上品、知性などの質です。詳しくはこちらを。
サットヴァ、ラジャス、タマスの意味とは?|ヨーガ・アーユルヴェーダ・インド哲学
いま45歳のわたしの前半生は、ラジャス祭りでした。
「ラジャス(激質)」とは、反感の象徴、行動、欲望、痛み、横柄さ、話好き、自尊心、怒り、不正直、競争心などを示します。
ヒステリーだ、怒りっぽい、わがまま、行動力がある、永遠の反抗期、プライドが高いと呼ばれてきました。起きなくていい恋愛トラブルやケンカ多数。ほんっと恥ずかしい・・・
それをしないと生き延びれないような環境にあったのです。そんな状況をNVCなどいろいろな魔法で抜け出し、今はラジャスの力を使わなくてもよくなりました。
でも、ラジャスの行動力が持つ成長欲や刺激への執着がまだあるのだと感じます。それが恋愛という原始の力が強いシーンで再発してしまうのかも。
サットヴァにいられる時間が増えると、恋愛のパターンも変わって、思いやりがある恋愛ができるのかもしれません。そういう成長と穏やかな刺激を楽しみにしていきたいな♡
いつか「サットヴァな恋愛」の魅力について書く日が来ますように。願わくば2年以内には!

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