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新しい家族のあり方を考える:「家」という保障契約を出て、愛の無数の断片でできた「コミュニティ」へ

先日ムーブメント・メディスンというシャーマンと脳科学と心理学が一体化したまほうの合宿でとてもいいハグを体験しました。
プロセスにお互いが立ち会って、理解や互いの人生への励ましを送り合う、長く美しい暖かいハグ。木のようにしっかりと、全存在を支えてもらう感覚。
そういえば、もう10年、そんな風に魂を込めて誰かにハグしてもらったことがなかったなあと気づきます。
恋人たちにはそうしてもらっていたけれど、結婚後はそんな風に支えを求めることもなかったように思う。
独身時代や離婚後のBFたちには、女性としてハグしてもらっていた感じはして、「人間として丸ごと受けとめられる」という満たされる体験を、なんだか久しぶりにしました。うむ、初めてに近いかも。

こどもが3歳になる頃、別居と離婚を考え始めたのは「人形の家」のノラのように、自分の主体性を取り戻したいと感じたから。人間として生きるために。役割を演じることやガマンをすることがもう嫌だったから。
私にとっては、別居と離婚は「自立」のためのイニシエーションのようなものに、結果的になりました。

別居を選択するときは、とても怖かった。私は36歳で、いろいろな人がいろいろな意見を言い、その中のどれが正解で、どれが聞かなくていい声なのかわからなかった。特に60歳を超えた人の声は重みがあるけれど、これから生きていく人にフィットしていない感覚があった。
それに、彼らのような人生を私は送りたいとは思えなかった。

数年して離婚をしたあと、離婚が望んでいなかった形だったこともあって傷を癒すのにちょっと時間がかかった(かかっている)。
そんなとき、ポートランドから来ていた友人(マット・ビボウ)がこんなアドバイスをくれた。

今持っているロープを手放すのは怖いよね。落ちるかもしれないから。でも、実は手放したら、またもう一本他のロープがある。
他のロープは、他の多くの人たちが持ってくれてる。コミュニティで。
今持っているロープを手放さないと、そちらには行けない。

私のところにくるクライアントは「変化」を望んでいる方が多いのだけれど、なんとかロープを手放さずに変化に移行したいという祈りも聞こえる。それもわかるし、それでうまくいかないのも身をもって知っている。

私が最後まで執着したのは「保障」だったと思う。何かあったときに、必ず頼れる人がいること。
それを求めて、いつも恋をし結婚をし、家族という形式を守ろうとしていたと思う。
契約をしてもその保障が守られないと知ったときに驚いてショックだった。血が出るほど憎んだ、自分も世界も。
私の両親や元夫はとても物知りでネットワークも学もあったので、何かのときは頼っていたし、彼らは「選択」や「人をフォローさせること」に慣れた人だった。
両親が亡くなり、離婚をして、家族が小さな息子しかいなくなって、もともと自己価値観が低く「私はできない」という呪いを自分にかけていたので、本当に怖かった。「怖い怖い」っていつも思ってた(しかも、震災被害直後の企業を経営せざるをえなくて、専業主婦からマイナススタートの経営者をしてた 涙)
で、いざ離婚して足を踏み出すと、これまでにはない豊かな色鮮やかな世界があった。
それまでは夫ひとりにしか頼れなかったことが、何かあるときに相談できる人が増え、私がシングルマザーであることのおかげもあるのか、すごくたくさんの人が助けてくれた。
夫ひとりに頼っていたときよりも確実で早くて、たくさんいるから柔軟性と強いしなやかさがあって揺るぎない。

最近はイタリアから来ている友人(フランチェスコ)と数日たのしい生活を送り、そのラテン的な愛がど真ん中な生き方を体験したら、私ももっとそう生きたいなと思えた。

上述のマットがこうも言っていた。

誰かと何かを一緒に作る、ということは人類のDNAに深く刻まれている。

フランチェスコとは、こう話していて。

おいしい食べ物を一緒に作って食べること、笑いあえること、音楽、気持ちのいい仲間(good company)。それさえあれば幸せ。

たぶん私はもう結婚はしないし、誰かとパートナーシップを築くこともない気が今はしているけれど。
大きな家族を国際的に持っている感覚がある。
パーマカルチャーやマインドフルネス的な意識を持った仲間が世界にいて、会うと瞬時に親友になる。
価値観が一緒で、食べたいもの(基本ヴィーガン)や暮らし方が近い。鎌倉のような観光地に来ても観光や買い物に行くことなく、一緒にヨガをしたりビーチに行ったり自転車で出かけたり。

動物たちがひっついて眠るように、ぬくもりと愛と優しさと信頼でつながれる。
恋人じゃなくても、お互いがいとおしくて大好きで、幸せでいて欲しいと願うこと。自分にできる限りのことをしたいと思うこと。
そう思える親友が、自転車の距離に、世界にもたくさんいることが、私の「家族」。
それぞれの人にフィットしたいろいろな愛や家族の形があると思う。
たまたま私にフィットするのは、好意の無数の断片が散りばめられてて、それを受けたり与えたりしながら、その愛の断片とダンスするように生きること。
そこから恋になることもあるし、片想いしてることもあるし、私は女友達と一緒にいればいるほど愛する癖があって、彼女たちの笑顔やダンスやユーモアに何年たった今日も目を奪われて惚れ直す。
その時ロープを握りしめていたら、この幸せにはいたらなかった。
怖いからと諦める勇気を持たなくてよかった。濁流に逆らわず身を任せてみたらいい。
その中で、生まれる楽しさがあるから。

「恋をしにこの惑星に来た」、というメッセージに屋久島で離婚の直後につながったことがある。
それを生きている。
死ぬまでにまだまだたくさんの出来事や人にときめいて目を輝かせる日がたくさんあると思う。
それができれば、わたしは人生成功♡

写真は、そんな大好きなゆみちんとフランチェスコをハグしながら、アッパーな音楽を背に見た逗子の花火。サイコー!

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