「受け取りにくい愛」自分には見えていない願いが、共感の力を使うとあっさりみえちゃう

NVC(非暴力コミュニケーション・共感コミュニケーション)をはじめたばかりの頃、人の話を伝え返したり共感することが上手じゃなかったことを思い出します。分析して評価してアドバイス与えるのがコミュニケーションでしょって思ってたから。
いまはそういう先入観やアジェンダやミッションを(なるべく)持つことなくピュアな状態で人と相対して話を聞く力が自覚できるくらい上がっています。力が上がるにつれ無敵でリラックスしていられる時間がふえ、相手が誰でも、そのままの正直で一番愛な自分で向き合うことができる確かな体感があるものです。
ドラクエだったら、「スライム3匹ならんでる・・・終わった(気絶)」レベルだったのが「キングスライム?ほーい、行っきまーす、あーそーぼ!」くらいの違いです。
そうなると日常生活に問題はほぼありません。しごく快適、愛と信頼に包まれます。
Before NVCのギスギスしていた頃は、駅で人とぶつかったり、「ちっ」て思うことがあったり、なんだったらグリーン車の乗り方で知らないおっさんとケンカするくらい波動が荒かったのですが、いまは人とぶつかる気配もなく、みんな穏やかで優しいいい人に見えます。優しくしていただくことも多く、愛がどんどん集まってきます。
そんな中にあっても時にキングスライムが2〜3匹並ぶような出来事があり、それをクリアできた時に自分の成長記録や、攻略法としてブログを書きためています。
さて、今日のテーマはこれ。

愛は条件づき

「愛」がメインテーマの人生を送っています。
恋愛(ロマンス)もですし、無償の愛、無条件の愛、人類愛のようなものまで含みます。
よりニュアンスを(万が一)知りたい方はこの辺をお読みください。

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心の深いところで痛み続けているテーマで根本治療が必要なのを放置しまくり、45歳でやっと少しずつひも解いています。
今日は共感サークルを主宰していたので、私のモヤモヤへの共感を4人の仲間たちからもらいました。

愛の受け取り方が難しい

難しさその1

私は不出来なところがあって人の母性本能をくすぐるのか?友人たちから愛情をもらいやすい気がしています。そして、たくさんの愛あるメッセージやケアをもらいながら、すべてに即時に返すことがどうにもできません。
Strength Finderなどどんな行動特性テストでも社交性は高い一方、事務の実行能力が低い。そこに課題があるのか、メッセージがたまります。たまったものに返信してると、あっという間に4時間くらい経ってしまいます(涙)
やっとPC前に座れた時間にご返信を優先すると、仕事や予定していたことやその瞬間したいことができなくなってしまう。そこで不義理は100も承知の上で、今は人にどんな評価を与えるかよりも、自分を裏切らないことを優先することを強化しています。

難しさその2

私がNVCをしていることで、なんでも率直に言っていいと思われるのか「レミちゃんの振る舞いがよくなかったから傷つけられた」ないし「そういう態度は良くない」というネガティブなフィードバックをたまにもらうことがあります。昔はよくもらいましたが、こちらのNVC度が上がっていくにつれ減り、今は年に2−3回かな(多い?)
それに対しては「あなたの”いい子/悪い子”定規で点数つけて評価を勝手に渡してくるのやめてもらえる?私は受け取らない」としか思えません。
ネガティブフィードバックを送ってくる人や、そこまでいかないにしても攻撃性や暴力性を感じる行動を周囲に出す人が苦手です。
「相手してる時間、人生にない」って思って、デート相手だったらさっさと別れるし、あったこともない人だったら以降メッセージが来ても開かず、どんどん断捨離。
出会う人の量が多い一方、こちらの肉体というコップの容量は変わらないから。

ネガティブフィードバックについてはこちらをご参考に。

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といった具合に「愛を送ってくるのもみんなの都合だから、私は私の都合で、読みたい時に読んで返信する。内容に攻撃性や暴力性が含まれてたら返信する義務もない」って考えてます。
ほんとわがままで性格悪いんだけど・・・

受け取りがたい愛

かように、こちらが切り捨てているにもかかわらず、愛や関心を送り続けてくれる人たちがいてびっくりします。
「え?まだ私のこと気に入ってるの?私を批判したり、愛を受け取らなかったのに?私は傷ついたし、暴力を振るわれたって思ってる。それを撤回できると思ってるのかな?忘れちゃった?まず謝罪からなのでは?何もなかったかのように戻ってこられても・・・気に入らなかったんだから、絡まなきゃいいじゃん、なんなの?」
「許さない」という頑(かたく)なさが自分にあるのを感じます。
相手が大学教授とか団体のリーダーといった一般的に権威がある人のこともあり、そういう人ほどなぜかしつこいのでスパム・ブロックしてます。
仲良くしたいなら、愛だけ送らないと無理だと思う。

こういう性格の悪さを書くのは、エデュケーターだったりコーチ、カウンセラー、ヒーラーをしている自分としてはブランディング的にマイナスだと思うんだけど、この頑なさがいつか変質するっていう確信だけがあるので、書いています。
「2020年はこんなだったよねー、あはは」っていつか笑えるように。
笑えますように・・・

他人だから見える、私の願い

そんな話を5分間、共感サークルでシェアします。それから聞き手のみんなは、手元のニーズシートや感情シートをチェックします。
そして「その逸話から、こんな感情やニーズが聞こえたよ」とフィードバックしていきます。
この「エンパシータイム」が最高に慈愛と癒しと元気づけの時間です。好物。私は月に6本くらい、こういう時間を定期的に入れています。

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通常の会話だったら「あたし、超性格悪くない?」「だね。別にそんなに突っぱらなくていーんじゃね?」「だよねー」「なんだろうねー」くらいで終わるであろうこの話を「共感筋」で聞いてもらうと、こうなります。じゃじゃーん♡

共感的に聴き、伝える

「感情的な安全、信頼、自分を大切にする、dignity(尊厳)、フロー」「誠実さと、自分を大切にすること。癒し、つながり」「誠実さ、自立、活動」「思いやり、ケアされること、サポート、優しさが欲しいのかな。心の平安、それを受け入れていいのかという感情的な安全愛を受け入れることを自分が咀嚼できるかというconfidence(自分への信頼)。mutuality(お互い様であること)も少し聞こえます」などなど。
メモも追いつかないくらいいただきながら、NVCは頭じゃなくて体でチェック。
その方が早くて正確だから。
信頼」と聞いた時に涙が出そうになる。
ネガティブフィードバックを伝えてくれた人にとっては、自分の正当化や、自分の痛みを大切にし、二度と私から同じように傷つけられたくない(からレミのがわを変えておきたい)という意図から出た行為だったとしても、それがその人を出て私に到着した時には暴力でしかない。過去、自分に暴力をふるった人が愛を持ってきたとして、それを受けるか試されているとしたら、今の私にはできない。
「許す」が苦手なのは、まず自分が自分を強く罰しているから。人のことなんて今はまだ到底許せない。
それを好意的に「自分にストイック」って言ってくれる人もいるけど、他人にも求めてしまうのだろうな。(めんどくさいんです)
私がNVCをやっていたり優しそうに見えたり、自分を愛してくれているからという理由で気楽にフィードバックをくれているのだとしたら「ごめんなさい、一発アウトでした。折れました」というしかない。キャパがない。

「自分を大切にする」・・・うん・・・先週メンターから「自虐パターンがあるね」と見切ってもらったばかりで、それが自分の人生のキーノートだと気づき始めているところ。
無意識で自分を罰しているので「自分を大切にする」は本当にできないし、だからこそ大切なこともわかっている。その言葉を抱きしめてあげたいくらい。
それで過剰防衛をしているのだろう。子供の頃の自分が「私を愛さないなら、批判するなら、あっちへ行って!ここから出て行って!」って、安全を守るために手を振り回しているのが見える。
実際よくものを投げたり扉に鍵をしたりもしてた。で「レミはヒステリーだ」って親から言われていた。
自分でもニーズにつながっていなかったけど、それは攻撃の形を取る防御だったんだなー(45年生きてやっと気づく)。

「愛を受け入れることを自分が咀嚼できるかというconfidence」
食事も人生もinput過重(食べ過ぎ)で消化とアウトプットが間に合わないで倒れてしまうことがあり。
咀嚼力と消化力が課題。それはフィジカルにというよりは、メンタルの自信のなさなのでしょう。胃カメラを飲んだら、それはそれは美しい胃で何も問題がありませんでしたし・・・
これは、解消するのでしょうか・・・
別のメンターからは「二重に扉をしめて、お堀に火を放ち、ケルベロスを2頭置いてるお城に立てこもってる」って言われて、少しずつ包囲を解いてはいるところ。
包囲網を超えてくる気まぐれな愛や関心と、おなじように気まぐれな暴力があったとしても、それは蝶や蜂のようなもので、風と共に来て去るのだから、気にせずやり過ごせばいいじゃない。命の本質である、その有機的で気まぐれな美しさと自由さだけを愛(め)で。
ぐらいに思えたらいいけど。刺されちゃうとねー。
「許す」ができるようになったら、無条件の愛が使えるようになる予感があります。
そのためには、まだまだ癒しまくる時間が必要です。(いつ終わるんだ?)

鏡の法則に気づく

「信頼」と言われて気づいたのは、亡き母がまったく信頼できない人だったから(太字にします、はい)。約束の時間にこない、言ったことを容易に撤回する、事実を曲げて、自分の都合の良いように解釈したり、嘘をつく。裁判も多い人でした・・・
離婚した夫も信頼がしにくい人でした。彼の場合は「適当(いいかげん、気楽に構えてる、先見性がない)」だからなんだけど。

そして、息子が5歳くらいの頃「さっきあんなに激怒してて、今は手の平を返したように、ごめんねとか優しくこられても困惑する。信頼できない」と言われてものすごくショックだったことを思い出しました。
歴史が繰り返してる(涙)
息子に言われてショックだったから、なるべく気をつけています。
信頼しあう必要がある人からのネガティブフィードバックは聞けるんだな。
そして、5歳児ゆえのエゴのない必死な I-messageだから、心にまっすぐ届くのだな、とも。

なんて、関係性ってばなのかしら。

写真。13年前の私、トリポリで。鏡(他人)に映る私は、私が思っている私より正確に違いない。

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