愛を受け取らない人
自分の人生をよりよくしたく、いろんな魔法を使って掘り込んでいます。潜在意識のテストをして出やすいのが「攻撃型の愛着障害」や「愛なしモデル」。「愛したい」も「愛されたい」も強く、愛が人生のテーマです。
息子が小6のあるとき、夜わたしのところにきて「ママ、Love」と言いました。
子供の頃からあまり言わない子です。
母「なに?めずらしいね、どうしたの?」
子「(パパの奥さん)が、母親には愛を伝えろって」
母「(じーん)彼女、ほんとうに優しいステキな人だよね♡パパは(ママとはちがって)そんな奥さんがもてて幸せだっていつも思う♡」
子「パパが前に言ってたんだけど。ママにあんなに愛を伝えつづけたのに、伝わらなかった、って。どうしてだろうって」
聞きながら頭が白くなります。
平静を装って「いやまったく記憶ないっすね。ないっす。伝わんねーだろ(笑)」くらいのことを返し、話を切り替えます。
やー、この数年で一番痛いヤツくらったわ、と数日痛みつづけました。
周りはせいいっぱい愛してくれているらしいのですが、私のやり方で愛されないと、そうと感じることができない仕様のようで・・・(くわしくは美香ちゃんの素晴らしいひもときによる記事をどうぞ)
恋愛ジャンキーの原因は愛着障害
「愛着障害」という言葉を知ったことが、私の人生の大きな分岐点になりました。
卒業論文も「恋愛」、大学院に進み恋愛学の研究者になろうと思っていたくらい、恋愛に興味がありました。
人生かけて研究したいと思ったテーマは「人はどうしてそんなに恋愛に入れ込むのか?」
私は市川市育ちでヤンチャな友人が多く、遊んでいた女友達は全員恋愛上手でモテる人でした。私たちの関心の中心は常に恋愛で、自殺未遂をしたり、韓流ドラマばりの情熱的なエピソード満載の危険な恋愛をする友人もいて(巻き込まれ)、文字通り恋愛に人生を左右されてきました。
公立小中高を出て成蹊大学というお嬢様学校に進学すると、友人の多くが私立校出身で性格が安定していて、ドロドロしない穏やかで、別れても友情の残るような上品で健康的な恋愛をすることにびっくりします。
会話からうかがい知れる家庭環境も落ち着いていて、成蹊に子供を送り込むような親御さんは社会的にも安定していて、お受験をサポートしたり子供との時間を丁寧に過ごしてきたのだと思います。その中で安定した精神性が子供に育ち恋愛スタイルにも影響しているのだと思います。
そこから25年。私の結論は、
人生や人間関係を破滅させるほど恋愛に入れ込む人と、そうではない人がいる。
前者(恋愛ジャンキーと呼びます)は、愛着障害がある確率が高い。
愛着障害って
それまではパートナーシップがうまくいかないのを、自分や相手の個人的なキャラクターのせいだと思ってきました。
なので、自責で死にたくなったり、他責でののしり続けてきました。
「愛着障害」というフィルターを知ってはじめて、より構造的な問題で、誰の責めでもないのだと、引いたところから見られるようになりました。
こちら、愛着障害の記事から抜粋します。
愛するに値しない自分、大切にしてもらえなかった自分
現代人をむしばむ「愛着障害」という死に至る病体と心を冒す悲劇の正体とは何か?
彼らが自分のことを、愛される資格がない、生きる値打ちがないと思っているのには、その確信の根拠となる原体験がある。
彼らにとって最も大切な存在が、彼らをあからさまに見捨てたか、かわいがっているふりをしていたとしても、本気では愛してくれなかったのだ。
「本気で」とは、口先ではなく行動で、ということであり、彼らがそれをいちばん必要とした幼いときに、彼らのことを何よりも優先し、気持ちだけでなく時間と手間をかけてくれたということだ。大切な人が、彼らのことより他のことに気を奪われることがあったとか、自分自身のことや生活のことに追われて、どこか上の空であったというとき、幼い子は「自分はいちばん大切な存在だ」ということを味わい損ねてしまう。
自己肯定感を持ちなさい、などと、いい年になった人たちに臆面もなく言う専門家がいる。が、それは、育ち盛りのときに栄養が足りずに大きくなれなかった人に、背を伸ばしなさいと言っているようなものだ。
自己肯定感は、これまでの人生の結果であり、原因ではない。それを高めなさいなどと簡単に言うのは、本当に苦しんだことなどない人が、口先の理屈で言う言葉に思える。
いちばん大切な人にさえ、自分を大切にしてもらえなかった人が、どうやって自分を大切に思えるのか。
むしろ、そんな彼らに言うべきことがあるとしたら、「あなたが自己肯定感を持てないのも、無理はない。それは当然なことで、あなたが悪いのではない。そんな中で、あなたはよく生きてきた。自分を肯定できているほうだ」と、その人のことをありのままに肯定することではないのか。
(中略)
自分のことを何よりも大切にしてくれる存在を持てないことほど、悲しいことはない。大人であっても、それは悲しいことだ。だが、幼いときに、子どものときに、そんな思いを味わったら、その思いをぬぐい去ることは容易ではない。
だが、それは、単に気持ちの問題にとどまらない。
では、根本的な要因は何なのか。
それに対する答えが、「愛着障害」なのである。
さらに詳しくはこちらを。私のバイブルの一冊です。他にも愛着障害の本はいろいろ出ていますが、この本が一番だと私は思います。ちなみに岡田先生の他の著書にはそんなに同感しません^^; この一冊がおすすめ。
息子の中学の合格発表をいただいた夜にも、愛着障害起因の発作で息子に当たり自己嫌悪させてしまいました。
ふたりで泣きながら、私の構造説明をして、ひたすら謝ります。
これは隠している方が事故るので、息子にはカミングアウトし、トリガーしそうな時に「ママ愛着障害だから」と説明しています。(その他、HSPだから、A型長女だから、などいろんな言い訳キットボックスあり・・・)
このサイトの古い記事を見ていると、ポカーンとすることもあり。だいぶ愛着障害から抜けてきている印象があります。
元夫へのパートナーとしての愛情がなくなって11年。その後もパートナーとして人生を寄り添いたいと思った人には出会わず。
どなたかに聞いたのですが、無条件の愛は、親から子にではなく、子が親に教えてくれるのだそう。
そう思います。特にうちの子はぼんやりしているというか、穏やかで優しくて愛が強い子なので。
気が利かなくて「HSPの」私に「(気が利かないのは)私を愛してないからでしょー(号泣)」とやられる時も多いですが、NVCも使いながらあしらってくれ、私の愛着障害の克服の一助となっています。
長くなったのでここまで。
私が愛着障害になった原因はこちらの記事から。